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シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

をまだ観ていない。

8年間エヴァの続きを待ち望んでいたし、その思いは今も変わらない。

ただ、映画館に初日に観に行く勇気がなかった。

このご時世、挙って映画館に押し掛けるのが憚られたり、ちょうどコミケに向けて書いている原稿が佳境になっていたり、初日に行かなかった理由はいくつか挙げられるが…

まあ、結局これは僕自身の弱さなんだろう。

初日にスケジュールを開けられなかったわけでもなく、映画館が近所になくて行けなかったわけでもない。要するに初日に行くということは、「誰よりも早くエヴァを終わらせる(完結させる)行為」だから、怖かったのかもしれない。

強引に自己正当化をしてみる。

初日に映画館へ向かい、作品をまっさらな状態で鑑賞する体験もかけがえのないものではあるが、初日組の感想を手掛かりに、作品へのイメージを膨らませて、スクリーンで答え合わせをする、そんな楽しみ方も、現在公開中で、皆がそれを見ている「時代」だからこそできる体験ではないか、そう思ったのだ。

前作、エヴァQの公開時も僕は公開初日には行かなかった。初日やら公開初期にいち早く観に行った人々の感想は、概ね阿鼻叫喚だった。前作までの内容が大きく覆される展開。難解なクライマックス。「Q」公開前夜は「破」のTV放映や、アクションシーンとしての白眉であるUS作戦の先行公開など、旧エヴァと比べれば素直な盛り上げ方で興行に臨んでいたからある種当然の結果だったかもしれない。

だけど、そんなQの評判に僕は興奮していた。旧世紀版、EoEで、ネルフ本部が戦略自衛隊によって蹂躙、メインキャラも粗方死亡した挙句、抽象的かつ自己啓発的な補完計画の発動、そして突き放すかのようなラストシーン。あっけにとられるオタク。そんな、EoE公開当時の空気を追体験できているような気がして気持ちよかったからだ。

で、僕は公開から1週間ほど遅れてエヴァQを観に行ったと思う。その時抱いた感情で覚えているのは「なんだ、案外わかりやすいじゃん」と言う気持ちだった。今思うと「Q」は何が起こってるのかまるで分らない映画でしかないが、14年間の空白で突き放されたシンジと、観客の意識とがうまくシンクロしていて、物語としては思っていたより理解しやすかったのだ。「気持ち悪い」がまた来るか!?と身構えていたらそれもなかった、と言う感じだった。

シンエヴァの公開には、そうした前回の経験のリベンジのような思いを抱いていた。EoE、あるいはイデオン発動編のように、凄惨で難解なクライマックスで僕達観客の脳が今度こそ破壊されるのではないか。いや、むしろ破壊してほしい。どこか自分の中にはそんな思いがあったのだ。

 ところが、初日に観に行ったオタクたち、案外皆おとなしいじゃあるまいか。皆納得した風じゃあるまいか。たまにネタバレつきの感想を観ても、存外まともで健やかな展開が待っていそうに聞こえるじゃありませんか。

エヴァQで落ちるところまで落ちたのだから、これ以上滅茶苦茶にしろと言ってもどうすれば、と言うのも事実ではあるが、それにしても既見勢の感想が腑抜けて見える。まるで勝手に満足して「良い、すべてこれで良い」とLCLへ還っていった旧ゼーレの老人たちを目の当たりにしたような居心地の悪さを僕は感じている。

まあ、まだ僕はほんとにまだ見てないし、映画としての評価とかは干渉せずに下せるわけではない。すっかり見る前から肩透かしを食らった気分ではあるが、今週末には自分の目で確かめ、結論を出すつもりだ。

だけども、映画を観る以前に、映画を見た人たちの感想から想像力を肥大化させて感じた感情、あるいは一種のルサンチマンはこうして今、言語化しておくべきだと思った。だからここに書いておくことにした。

 

 

実際に観たら掌返すかもしれないが、それだったらむしろそのほうが幸せかもしれない。